「審査員の一人が私のもとに来て、「その音楽性を大切にして頑張ったら、きっと素晴らしいピアニストになれる」と言ってくださって。信じられないくらい嬉しかった」(撮影:小林ばく)
ドイツ・ベルリンを拠点に、世界各地で演奏活動を行う人気ピアニスト・福間洸太朗さん。華やかな活躍の裏には、スランプに悩んだ時期もあったといいます。壁を乗り越えるきっかけとなった出来事とは──(撮影=小林ばく 取材・文=婦人公論編集部)

5歳の誕生日に「今日からやっていいの?」

「ピアノを習いたい」と母にねだったのは、3歳のときです。姉2人が家でピアノを習っていたのが羨ましくて。でも母は、「5歳まで待ちなさい」と却下。男の子だし、長続きしないと思ったそうです。だから私が5歳の誕生日に「今日からやっていいの?」と言ったら、とても驚いていましたね。(笑)

“ピアニスト”という夢が明確になったのは、中学3年生で出場したアメリカの国際コンクールで6位に入賞したときです。審査員の一人が私のもとに来て、「その音楽性を大切にして頑張ったら、きっと素晴らしいピアニストになれる」と言ってくださって。信じられないくらい嬉しかった。

それまでは、家族に音楽家がいないこともあって、遠い世界だと感じていたんです。夢を叶えられなかったときの進路についても考えていました。でもその言葉を聞いて、どんなに大変な道でもピアニストになろうと思えた。だからこそ、20歳のときアメリカのクリーヴランド国際ピアノコンクールで優勝することができたのです。

でも、2~3年も経つと演奏会に呼ばれる機会は減っていきました。次の優勝者が出れば、そちらに声がかかりますから。あのころは5年後、10年後がまったく見えないスランプの日々でしたね。