ダンブルドア先生の扮装で(写真提供:市村さん)

いや、結局どんな役でも、演じるのは大変なことだと改めて思います。たとえ通行人の役でも。というのも、今回は幕開けのプロローグで、僕もまさしく通行人を演じるんです。それも3役。

最初はポーター役でトランクを運び、すぐに「あれ、ハリー・ポッターじゃない?」と騒ぐ魔法使いたちの一人になり、その後は魔法学校のクラスのひとつ「ハッフルパフ」の教師役で出てくる。そこは、背負っている人生を出す前に引っ込まなきゃいけないんだけど。(笑)

それでもやっぱり、役の心根を見つけられずに表面だけを演じても、何も伝わらない。地球のマグマが一つの結晶になるのに何億年とかかるのと同じで、役の心根という結晶は、役者がああでもないこうでもないと潜ったり這い上がったり擦り傷を作ったりしながらズタボロになることで、ようやく見つかるものなんだよね。

ダンブルドアが「この感情の渦巻く乱雑な世界には、完璧な答えはない。魔法を使っても届かない」と言っているように、完璧な結晶は見つからないのかもしれない。

でも、短い場面でそんな重い言葉を、説得力を持って言えるようになるには、ボロボロになるまで努力するしかないよね。