「のりこ・くにこ」から始まって

中学生のときに同級生と「のりこ・くにこ」というコンビを組んで、中高の講堂の舞台に何度も上がりました。前にお客さんがいるところで演じるのはあたりまえだったはずなのに、いつのまにか端っこのお客さんを見るということを忘れていた。デビューして20年も経って、私、演芸もやっていなかったなあということに気付きました。テレビばっかりで、演芸ホールなどの舞台に上がることがなくて。

私には師匠がいないんですよね。お笑い演芸スクールを出ているわけでもなく、師匠についたわけでもない。ルーツがないと演芸場はなかなか出られません。たけしさんは浅草演芸ホールの出身だから「ただいま」っていうと舞台に上がれて、うらやましかったです。

でも、40歳になった頃には、デビューして以来かわいがっていた後輩たちがどんどん立派な師匠になっていて、舞台にゲスト枠で呼んでくれるようになりました。それで少しずつルートができてきて、演芸をやれるようになった。これもありがたいことです。目の前にお客さんがいるって、気持ちいいですよね。

長唄三味線を始めたのは、自分は芸事って何ができるだろうと考えたのがきっかけです。話芸はできるけれど、ちゃんとできる楽器もない。そしたら近所に住んでいた林家たい平ちゃんが、「うちの近所にいい先生がいるよ」と教えてくれたんです。「じゃあ、習う習う」と飛び込みました。