「幸いなことに、私には近所に友だちがたくさんおりますから」

長男一家は隣の駅に、長女がさらにその一つ先の駅に住んでいるが、夫が亡くなったあとも、子どもたちと同居したいと思ったことは一度もない。

「だって、若い人には若い人の生活がありますでしょう。幸いなことに、私には近所に友だちがたくさんおりますから」

長女は週に1度ほど来ては病院のつき添いや買い物などをサポート。会社員の長男は60歳を超えてからは仕事に余裕ができ、週末になると弁当を買ってやってきて、一緒に昼食をとる。

「息子が毎週のように来てくれるようになったのは、嬉しい驚きでした。まさかこんなに優しいなんて知りませんでしたよ」

実は今橋さんは13歳のとき、戦争で身寄りを亡くしている。1945年3月10日の東京大空襲は死者10万人を数え、100万人が家を失った。今橋さんの生家があった亀戸一帯も火の海に。母方の実家に疎開していた今橋さんは助かったが、両親と姉、同級生や幼友だちを、一夜にして失ってしまった。

「人生の前半はつらい思いもしました。だけど今はお友だちに恵まれ、子どもたちは代わる代わる訪れて気にかけてくれる。本当に幸せだと思っています」

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今回、3人に共通していると感じたのは、生活上の不自由が多少あっても、確固たる自分の世界を持っているということ。そして、家族だけではなく他者との交流がある。つまり「社会」の中で、助け合いながら生きているということだ。

「自立とは誰にも依存しないことではなく、依存先を増やすこと」。これは、脳性麻痺の障害を持つ医師・熊谷晋一郎さんの言葉である。親も子も、互いの社会生活を尊重しながら適切な距離を探る。その風通しの良さが、家族の幸せにも繋がるのではないか。

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