元宝塚歌劇団生の年長者と若い世代を繋げる場
卒業してから半年ほど経ち、在団中から文章に関わる仕事に興味を持っていた私は、エッセイ執筆の機会をいただくなど少しずつ夢に向かって準備を始めていた。
その頃、世界中で流行した疫病についての情報が増え、皆が試行錯誤を重ねて暮らし方を変えていった。周囲には前向きな雰囲気があるにはあったが、まだ先の見えない不安は私の心の底に渦巻いていた。そんな時、声を掛けてくださったのは、元宝塚歌劇団の第70期生、登坂倫子(とさかのりこ)さんだった。
宝塚歌劇団で演技とリンクレイターヴォイスワーク(クリスティン・リンクレイターにより考案されたヴォイスワーク)の指導に当たっている登坂さんは、生活や価値観の変化に戸惑って気持ちが沈みがちな教え子たちに、今こそ新たな学びを届けたいと考えた。そして、元宝塚歌劇団生の年長者と若い世代を繋げる場を設けた。
登坂さんは教え子たちに声を掛け、オンライン上の会合が開催された。参加を希望した、20代から40代くらいの元タカラジェンヌ、10名ほどが集まった。パソコン画面の向こう側に現れたのは、白髪の大先輩だった。
時凡子(とき みなこ)さん。13歳で終戦を迎え、友人に誘われて観劇した宝塚歌劇に夢中になる。1952年に宝塚音楽学校に入学。娘役として8年間活躍した後、結婚して渡米した。愛称は、ぼんこさん。
はじめは少し緊張していた私たち後輩だったが、皆、すぐにぼんこさんのお人柄に魅了された。明るい色の服装に身を包み、背筋をぴんと伸ばしたぼんこさんは、当時もうすぐ90代に差しかかるお年とは思えないほど、快活に話された。
最年少の参加者とは60歳近く年齢が離れているにも関わらず、「大先輩から教えを受ける」という堅苦しさは全く無かった。舞台での失敗談、演出家の先生の物真似も飛び出す賑やかな会となった。
時折明るい笑い声を上げながら、ぼんこさんは下級生のお話に聞き入っていた。そして、彼女が話し出すとたちまち皆は、その言葉に強く惹きつけられた。
幼い頃、家族と共に戦時下を生き抜いたこと。タカラジェンヌとして過ごした青春の日々のこと。そして今の思いを、私たちに向けて率直に、力強く話してくださった。