遠い過去は、今へ繋がっている
「戦後80年」「薄れゆく戦争の記憶」「戦争を知らない世代」。
そんな見出しを新聞記事やテレビの画面の中に見つけるたび、私はこの胸に見えない針が刺さったように感じる。その微かな感覚は、「このまま戦争を知らない人として、何もせずに生きていくのか」という自分自身への問いかけを突き付けられる痛みだった。
「私が深く関わった宝塚歌劇団という場所を通じ、戦争を学んでみたい」
ぼんこさんとの出会いをきっかけとして、漠然としていた私の思いは、次第に明確になっていった。
私が宝塚歌劇団に在団していた頃の公演状況や日々の生活は、当然のことながら、戦時下や戦後すぐのそれとは大きくかけ離れている。しかし、どんな時代でも共通していることはあるだろう。たとえば、初めて台本を開いた時の高揚。一緒に舞台を作ろうと意気込むライバル同士の笑顔。割れんばかりの拍手を浴びて涙が溢れる瞬間。
そしてこれらと同じように、80年の歳月を経て変わったものと変わらないものは、どんな職業、立場の人たちにもあるはずだと思う。戦争を知る方々のお話を伺うことで、今を生きる人たちはどんな風景を見ることができるだろうか。
その答えを知るために、私はぼんこさんにお話を伺うことにした。4年前と変わらずロサンゼルスにお住まいの彼女は、オンラインでのインタビューを快く引き受けてくださった。
初回の取材時、私は緊張していた。上級生に取材を依頼し、向かい合ってお話を伺うということよりも、もっと大きな理由があった。
「戦争の記憶を語ってください」
そこで語られるのは、決して楽しく幸せな思い出だけではない。悲しみや苦しみ、時には怒りを呼び起こして語っていただくお話があるだろう。その体験者の思いに見合う言葉を、私は書くことができるだろうか。カチコチに気負ってパソコン画面の前に座った私を迎えてくれたのは、ぼんこさんの朗らかな笑顔だった。
遠い過去は、今へ繋がっている。時凡子さんの物語を聴き、書くことは、どんな風景へと繋がるのか。まだ手探りのまま、私は、はじめの質問を投げかけた。