高校は、兄と同じ全寮制の学校へ入学しました。全然行きたくなかったけれど、「ほかの学校に行くなら学費は出さない」と母親に言われて。試験の成績を1番からビリまで貼りだすような学校で、僕は1年間ずっとビリやった。母と兄はぶちキレたけれど、できひんもんはできひん。それで退学し、1年遅れで公立高校へ入りなおしたのです。

寮ではなくなったので高校へは家から通うようになりましたが、それからはもう親とは一切かかわらなくなりましたね。母は弁当も作ってくれなかったので、つきあっていた彼女のお母さんが用意してくれた。家に帰れば自分の部屋にこもりきりで、家族の誰とも口をきかないで過ごすようになりました。

こんな日々を送りながら、「僕は絶対に結婚なんてせんとこう」と心に誓いましたね。夫婦仲が悪く、子どもがこんなにしんどい思いをして生きていかなあかんなんて、かわいそうすぎる。「子どもなんて作らんほうがましや」って。

 

母と離婚した3日後、父は首を吊った

高校卒業後は、就職して中央卸売市場で働きました。仕事が休みの日もレストランで働いてお金を貯め、料理の勉強もして。それで23歳のときに、調理師免許を持っていた父親の名義で居酒屋を開業したんです。

店はけっこう繁盛してましたし、父はしょっちゅう飲みに来てくれはったんで、いろいろ話をしました。あるとき、「お前が中学くらいまでビシバシにしばいたりしていたのは、全部母さんに言われてやったことなんや」と言われました。「いやいやいや、それはないだろう、オレは親からされてきたことを一生忘れへんゾ」と口まで出かかったけど、かろうじて飲み込みました。

僕が繰り返し父に言ったのは、「早く離婚せや」ということ。そしたら僕は母や兄と縁を切れる。かといって別れたら父親の面倒を見ようとか、そんな気にもなれなかった。でも、父のためにも両親が別れるべきなのは確かやった。当時母親の攻撃の矛先は父親に向かっていたから。父のやることなすこと母は気に入らないみたいだったんです。でも財布は母が握っていたので、父は「離婚したら、お父さんは野垂れ死にや」とこぼしていました。

店を始めて3年目のある日、そんな父が、ベロベロに酔っ払って店にやってきた。そして「もうお母さんとは離婚や」と突然言い出したのです。僕は「これで家族と縁を切れる」とホッとしました。そんな言葉を交わした3日後、なんと父は首を吊って自殺してしまったのです。