(写真:stock.adobe.com)

クリスティン:それであなたのお母様は? どうなったんですか?

キャメロン:父が亡くなったとき、わたしは28歳でした。そしてわたしが35歳になったとき、母がアルツハイマー病の診断を受けました。

父の死後数年して、長期介護保険について母と話したことがあります。ひとり暮らしなんだから長期介護保険に入ったほうがいいと母にアドバイスしたら、母はすぐ保険の外交員と会ってくれました。

ところが母には持病があって、結局、保険に入れませんでした。当時はアルツハイマーの症状などは出ていませんでしたが、左耳のうしろに聴神経腫瘍(良性脳腫瘍)があって、高リスクと判定され、長期介護保険に入れなかったのです。

クリスティン:お父様の死を受けて、遺言や遺産の重要性については話しましたか?

キャメロン:母は遺言を作成していましたし、最期をどうしたいかもちゃんと教えてくれました。《私が死んだら火葬にして。友人を集めて私の思い出を話してくれたらうれしい》と。

母の希望を聞いておいて本当によかったと思います。母が亡くなったとき、望みどおりにできたからです。

ただ、経済状況についてはつっこんだ話をしませんでした。本当は長期介護保険に入れなかったときにちゃんと話し合うべきだったんです。

《ママ、介護が必要となったとき、どんな介護をしてほしい? 一緒に経済状況を見返して、介護費用を捻出する方法を考えよう》というべきでした。でもわたしはそうしなかった。必要性がわかっていなかったんです。

母は父よりも気楽にお金のことを話題にする人だったので、経済状況についてもだいたい見当がついていました。家は持ち家でした。親から相続した株式があることも知っていました。

病気がわかったとき、母はまだ働いていました。父と結婚していたときは専業主婦でしたが、離婚後にカトリックの幼稚園で先生を始めたんです。だから収入があることはわかっていましたが、それ以上は知りませんでした。

2006年から2007年ごろ、母の記憶力に衰えの兆候が見えはじめました。でもわたしは左耳の聴神経腫瘍のせいだと決めつけていました。

母が質問して、わたしが返事をして、しばらくするとまた同じ質問をされることがあっても、わたしは《返事が聞こえていなかったんだ》と考えました。記憶障害を直視するより、言い訳をするほうが楽だったからです。