首謀者の厳罰などは行われず

憤懣を爆発させた町人たちは米屋などを襲撃し、店を打ち壊して家財を略奪しました。

江戸で破壊された商家は500軒と記録されています。

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幕府の対応は腰が引けており、首謀者の厳罰などは行われませんでした。

とはいえ、この事件は何とか延命を図っていた田沼意次の政権運営にとどめを刺し、松平定信による寛政の改革への門戸を開くことになりました。

このあたりは『べらぼう』でも描かれたとおりです。