芸術はしょせん趣味の延長?

感染症を封じ込めるには、極論すると、すべての人を家に閉じ込めればいいのかもしれません。短期間であれば、外出制限も致し方ないかもしれません。ですが、長期にわたると生活習慣病やストレスからくる疾患など、他の病気は確実に増えます。

公演自粛に悲鳴を上げている表現者などが意見を発すると、「好きでやっているんだから文句言うな。もっと大変な人はいくらでもいる」などと批判する人もいます。ここ5、6年、表面的な景気のよさと実際の生活実感の乖離がどんどん広がり、一部の富裕層のみがいい思いをしているという空気が多くの人に広がっている。

そこへ今回の問題が起きたので、みんな「オレが我慢しているんだから、お前も我慢しろ」みたいな気持ちになってしまうのでしょう。とくにSNS上では、攻撃的な言葉がよく見られます。本来ならば、そういう人の心をもやわらげるのが、芸術だと思うのですが――。

そもそも日本では、文化芸術にあまり重きが置かれていない気がします。GDP比でいうと、日本の文化予算は先進国平均のおよそ4分の1、フランスや韓国に比べると約10分の1です。アメリカの文化予算はそれほど多くはありませんが、寄付が盛んな国なのでカバーできている。実質、日本の文化予算は先進国中、最も低いと言っていいと思います。

私は2001年に『芸術立国論』という本を出しました。私たちの活動は社会にとって非常に重要なもので、一種の公共事業であるというのが骨子です。道路工事をする人は、助成金を出してもらって、勝手に作っているわけではないですよね。それと同じで、私たちは社会に必要な文化というインフラを作っている事業者である、という考え方です。

発表当時は、やや突飛な思想だと受けとられたようですが、諸外国では当たり前のこととして考えられています。たとえばフランスは、自国のブランドが売れるのはフランスのナショナルイメージがあってこそ。だからフランスは、常に世界最高の文化大国でなければいけない、と明言しています。それが産業を支えている。

韓国では国策としてコンテンツ産業に力を入れており、映画・演劇学科のある大学が100近くあります。優秀な人材を育てる政策が、エンターテインメント業界を支えているのです。日本はそのあたりを民間セクターに任せてきましたが、おかげでコンテンツ産業において韓国と大きな差がついてしまいました。

産業構造に関していえば、日本の製造業は先細りになっていくでしょう。経済界の人たちも、コンテンツ産業に移行すべきだとわかっています。だったら、その基礎研究ともいうべき芸術文化の分野にも、もっと力を注いでいくべきではないでしょうか。

「人はパンのみにて生きるにあらず」と言われますが、まさにその通りだと思います。芸術は、自分を見つめ直したり、将来の自分に希望を持つ手助けをしてくれる。だから、できれば子どもの頃から触れてもらいたいし、人生に悩んでいる人にも足を運んでもらいたい。

ここで問題になるのが、演劇などパフォーマンスのチケット代の高さです。本当に届けたい人に届けられない、というジレンマがあるのです。そこをなんとかするためにも、やはり文化に関する政策が必要です。