やなせ夫妻の素顔
暢さんもやなせ先生も真面目な人でした。強く言うこともありあすが、実際の暢さんはしっかり相手を立てることは立てる。誰にでもガンガン強く言うのではなくて、権力者や会社の偉い人が理不尽なことをすると「それはいけない」と言える人。
私が失敗した時にはきちんと「こうしたほうがいい」と教えてくれました。私自身も暢さんから強く言われたことがありません。気持ちのいい女性でした。
やなせスタジオで働くことが決まると、暢さんからは、「うちの仕事は簡単だからよろしくね」と言われました。びっくりしたのが、通帳や銀行の実印とか、貴重な財産が記録されているものをポンと渡されたことです。「これお願いね。これは金庫に入れてあって、金庫の鍵はここに置いてあって金庫の暗証番号っていうのがこれね」と入社後すぐの私に言うんです。「大丈夫なのかな」と自分でも気になるぐらいでした。
あまりに任されすぎたので、暢さんに「もし私が悪い人だったらどうします?」と聞いたんです。暢さんは、「もしあなたが悪い人だったら自分に見る目がなかったと思って諦める」と言って。それを聞いたときに「すごい人だ」と思いました。私だったら「悪いことは絶対しないでね」と言う。「見る目がなかったと思って諦める」と言える。そういう女性には今まで暢さん以外に会ったことがありません。
やなせ先生夫妻との思い出で、よく覚えていることがあります。高知の名産で「小夏」というかんきつ類があって。私がやなせスタジオに入ったばかりのころ、やなせ先生が「小夏の正しい食べ方を教えてあげます」と言って包丁でくるくる小夏をむいてくださった。表皮をむいて、白く薄い中の皮を残したまま食べると美味しいそうです。
でも、暢さんの食べ方は先生と違う。やなせ先生は「うちのかみさんは絶対正しい食べ方をしないで、普通のみかんみたいに食べるんです」とお話しされていました。暢さんはちょっと照れたように笑っていたんです。奥さんは奥さんで自分のむき方をするし、先生は先生のむき方がある。ちっぽけなことですが、お互いに認め合っている。それがすごくいい夫婦関係だなと感じました。