私たちが求めていた豊かさのかたち
たとえば、季節を感じる暮らしの中の余白です。
夏のはじめに青梅を洗って、梅仕事に没頭する時間。
薬味の香りに目を細めながら、旬のものを丁寧に調理する手。
どれも“特別”ではありませんが、だからこそ、私たちの内面をゆっくりと潤してくれるのです。
また、何もかもを見せる時代にあって、見せない美しさ、語りすぎない気配は、むしろ品よく、芯のある美に映ります。
控えめに佇む花のように生きている人は、どこか凛としていて、魅力的です。
暮らしのペースを、自分の呼吸に戻す。
あせらず、丁寧に手をかけて育てていく。
ことさらに見せようとしない。
そんな時間こそが、本来の私たちが求めていた、豊かさのかたちなのではないでしょうか。