古典作品の中に普遍的なものを見つける
――その通りに、舞台は六条御息所の嫉妬心が際立ったまま幕が閉じる。嫉妬心。久しぶりに訪れた光源氏に、六条御息所は葵祭に出かけた際、葵の上の従者に車を追いやられた「車争い」を持ち出すなどして、くどくどなじり続ける。「このような人、現在もいる」と膝を打ってしまう。
だから芝居になりやすいのではないかと思います。でも、私は古典作品を現代に引き付けるということに関しては、基本的にはしていません。古典作品の中に普遍的なものがどこにあるかを見つけようとしています。それがなければ、お芝居をやる意味はありません。現代の芝居でも、見ている人と気持ちがつながらなければ何を伝えたいのか全然、分からないと思います。
私は若い時、いろいろな役をやらせていただきました。自分が伝えたいことをお客様が理解して楽しんで、浄化されて帰っていただく。自分が納得できる。そのような作品以外は、35歳ぐらいで止めました。染五郎君にも「納得できなかったら言って」と話しました。