厳しい診断が下されて
がん研有明病院に転院したのは、それから4日後のことです。主治医の先生に、前の病院で撮影した画像を見てもらったのですが、さほど驚いた様子もなく、こう言いました。
「今はいい薬がありますからね。5月ぐらいになったら、『あれは何だったんだろう』ということになるかもしれませんよ」
ホッと安心したものの、検査結果は思わしくありませんでした。前回の検査から2週間しか経っていないのに、がんが増殖して、お腹の中で黒い帯状になっていることがわかったのです。「ステージIIICのがん性腹膜炎」との診断でした。
「それは、限りなく末期に近いということですよね」と質問すると、先生は「そうですね」と答えました。
5年生存率は3割──厳しい現実に直面しながらも、私はさほど落ち込むことはありませんでした。「あぁ、70歳を過ぎていてよかった」と思ったのです。もし、40歳でこの告知を受けたのだとしたら、さぞショックだったでしょう。でも、70過ぎまでやりたい放題やってきたのですから、もう思い残すことはない。「まあ、いいか。来月この世を去ることになっても後悔はない」という気持ちでした。
※本稿は、『人生、山あり“時々”谷あり』(潮出版社)の一部を再編集したものです。
『人生、山あり“時々”谷あり』(著:田部井淳子/潮出版社)
「世界初」の称号と三度にわたる雪崩との遭遇、突然のガン告知と余命宣言、そして東日本大震災の被災地の高校生たちとの富士登山・・・・・・。
女性初のエベレスト登頂を成し遂げた登山家・田部井淳子が綴った、笑いあり、涙ありの感動エッセイ!!!