理屈で考えるより、感性で動いていることのほうが多い
親御さんにかぎらず、多くの人が、今すぐロボットにそっくりそのまま置き換えることは到底不可能な意思決定を、瞬間瞬間行いながら日々を過ごしていると思います。
日常生活のような、ルーティンに見えるようなこともそうだと思います。
理屈としてはっきり言語化しているというよりは、「なんとなく」感覚的に判断して行動していることがほとんどなのではないでしょうか。この「なんとなく」も意欲(感性)に含んでいると、私は考えています。
日常生活のみならず、仕事の場面でも、理屈で考えているように見えても、「AならばB、BならばC、という論理展開のみで仕事を進めている」というよりは、目の前の状況や課題に対して、「感覚的に、こうしたほうがいい気がする」ということが先に立ち、自身や周囲を納得させるために、共通の前提を用意して理屈、論理展開を駆使する、というほうが多いのではないでしょうか。
それもそのはず。日々向き合う状況は、条件が少なく、シンプルに答えが定まる問題とは異なり、影響する要素がとても多く、すべての影響を考慮して、論理的な解を見出すことはほぼ不可能です。これまでの全体験、経験を総動員して、感覚的に「こっちかな」ということをとらえているとも言えます。
お子さんと接するうえでも、親御さんが日々駆使している感覚だと思います。
そして、理屈で考えるよりも、「こっちかな」という感覚が行動の先に立つので、その人の言動を特徴づけるもの、つまりその人らしさが表れやすいのは、この「なんとなく」の感性であり、意欲であると言えます。
大人もそうですし、子どもはなおさらそう感じます。