抗がん剤治療が始まる当日も、午前中にラジオの生放送を終えてから病院へ。ところが点滴を終えて帰宅した翌日からひどく具合が悪くなって、起きられない、食べられない、話もできない。

本人が一番苦しんだのは、思考能力が失せたことでした。「これでは原稿が書けない。抗がん剤治療はやめる」と。

幸い、とあるクリニックで受けた栄養剤の点滴で一時的に体調が回復。その後に入院した総合病院では、9割がた書き上げていた単行本の結論部分を、次男が口述筆記を引き受けてくれて完成させることができました。

ところが2週間もすると、病室に看護師さんが出入りしたり、検査や食事で作業を中断されたりするのに耐えかねて、「集中できない。退院する」と騒ぎだして。

私たち家族とマネージャー、最後は院長先生も加わって「感染症の心配があるから、もう少し入院を」と説得したのですが、駄々っ子のように「家に帰る」と言い張りました。

その後さまざまな経緯で原発不明がんと診断されて、免疫療法薬のオプジーボが保険診療で受けられることになり、同時に自費診療で血液免疫療法も始まって。「見られないだろう」と言われた桜の季節を過ぎても、生き続けることができたのです。