夫の目標は果たされた
退院してしばらくすると、夫は新しい本や雑誌の原稿を怒濤の勢いで書き始めました。死ぬまでにやっておきたいことや書いておきたいことが、次々と浮かんできたようです。
ラジオもできるだけ生で出演したいと、日曜と火曜の夜は事務所に寝泊まりして放送局へ向かう。「家からタクシーで行けば」と言っても、「道路事情で遅れるのが嫌だから」と、電車で通うのをやめません。
私が付き添う日は、駅の階段を踏み外さないか心配で、夫の後ろを歩きました。一段一段、時間をかけて昇っていく姿が、今も記憶に残っています。
最後のテレビ出演となった『がっちりマンデー!!』の収録時は、スタッフの方が「奥様もご一緒にスタジオへ」と言ってくれたのに、夫は「来なくていい」の一点張り。私がいると、仕事モードになれなかったのかもしれません。
亡くなる直前も、月曜の朝と午後に別のラジオ局で生放送に電話で出演。火曜日にも生放送の仕事があって電話で打ち合わせをしたのですが、声が出ず、通話中のスマホを自分で持っていることもできない状態でした。
痛み止めのモルヒネの影響もあって、その後ほとんど意識がない状態に。訪問診療の先生に「聞こえていますから、話しかけてあげて」と言われてみんなで懸命に声をかけましたが、反応はない。
ところが私が、「明日もラジオがあるよ! 出るんでしょ」と言った時だけ、ぱっと目を開けたんです。一瞬だけね。その2時間ほど後に亡くなりました。ラジオ、出たかっただろうなあ、と今でも思います。