一揆は足かけ5年にも及び、参加人員はのべ6万人に
農民にしてみると、おれたちが努力して収穫増を実現しても、藩はその分をごっそり取っていこうとするのか、となってしまいます。
彼らは強く反発し、約3000人が郡上八幡城に集結しました。増税は絶対に認めないぞ、との一揆を起こしたのです。
一揆は足かけ5年にも及び、参加人員はのべにすると膨大な数にのぼりました。しかも行動の場は美濃の山間部にとどまらず、最終的には江戸幕府への直訴にまで発展しました。農民たちは年貢の減免だけでなく、藩主の不当を訴えたのです。
幕府は事態を重く見て、老中以下が事態の収拾に動きました。その結果、農民側は首謀者14人の処刑、という犠牲を出しました。
ですが一方で、頼錦は改易処分を受け、藩は取りつぶし。藩士たちはみな職を失ったのです。