幕府の言論統制により犠牲者が
この一揆にともなって、もう一つ、注目すべき事件が起きています。それは幕府による言論統制の結果、犠牲者が出た、という事件です。
処罰されたのは馬場文耕(1718~1759)という講釈師でした。彼は世話物講談の分野を開拓し、「近世講談の祖」と評される人です。
郡上八幡の一揆に強い関心をもち、宝暦8年9月、現在の中央区日本橋で郡上八幡一揆の講談を行っているところを捕らえられ、12月、江戸市中引き回しの上、打ち首獄門に処されました。
極刑の理由としては、郡上騒動についての幕府の裁決が下される前に講談というかたちで私の裁決を行ったこと、江戸幕府や諸藩の機密情報を講談として公開したこと、取調中も幕府政治批判をやめなかったことなどが挙げられるようです。