永瀬正敏さん
撮影:本社 奥西義和
天才浮世絵師・葛飾北斎には、“もうひとりの天才”ともいえる実の娘がいたーそんな史実に基づいた映画『おーい、応為』がこの秋公開になります。応為を演じるのは長澤まさみさん。父・北斎を演じる永瀬正敏さんに、映画の制作現場での裏話、役作りを手伝った相棒との話など、ざっくばらんに伺いました。
(構成:岡宗真由子 撮影:本社 奥西儀和)

「どうぞ憑依してください」とお祈りしました

この映画のお話をいただいた時は、まだここまで葛飾北斎が頻繁にクローズアップされていない頃でした。確か、パスポートに印刷されることも、新千円札の図柄になることも発表前だったと思います。もちろん世界的に有名な天才絵師ではありましたが、最近特にすごいですよね。僕自身、北斎の何点かの作品を知っていましたが、娘も絵師であったこと、しかも天才的な絵師であったということはそこまで詳しく知りませんでした。

大森立嗣監督は凝り固まった役作りというよりは、俳優が生きてきた経験値を役の構築に生かすやり方を好む方です。僕なりに最低限の下準備として、北斎に迫ることは色々やりましたが。作品集に目を通したり、目の届く箇所に作品を置いていたり、北斎に関する著作物を集めて読んだり。でも、北斎の人となりについての本の多くが後の世の人たちが少ないエピソードからそれぞれの研究者の方々が解釈して書いたものだということがわかってきました。今みたいに映像とか文章とかご自身で直接語ったものは残っていませんしね。そのそれぞれの方の解釈本も面白かったのですが、それだけを隅々まで読んで、誰かの“北斎観”に引っ張られてしまうのは違うと途中から思いなおしたんです。それからは監督が書かれた脚本の世界観を一番大切にしようと思いました。あとは筆で絵を描く練習にはげむことと、彼が暮らした下町の街並みを訪ねて空気を纏う気持ちづくりに切り替えました。そしてお墓参りに行って、墓前に練習に使っている筆と台本をお供えし、「憑依してください」とお祈りしました。「撮影中だけ、絵を描いている時だけでも良いですので」と。(笑)

北斎は床に紙を広げて、膝をついた姿勢で絵を描いていました。筆で描くのも大変ですが、この姿勢で描くのは一苦労です。僕なりの推理なのですが、あの姿勢で描いているのは、幼い頃地べたに指で描くことをやっていた人だからなのかなと。当時は絵を描く筆も紙も貴重で、庶民にとっては良い紙1枚を購入することも簡単ではなかった。どこで腕を上げたかというと、幼い頃から修業時代までは紙では事足りなくて、きっと地べたに描くこともあっただろうなと思うんです。それがいつの間にか一番上手く描ける姿勢になっていって、娘の応為も物心ついた頃からそれを見て継承したのかもしれない。そして北斎は生涯、そこまで裕福な生活は送っていなかった人ですから、1枚1枚が真剣勝負。そんな全ての過酷な環境も、彼が腕を上げる要因ではあったのではないかと思うんです。

『おーい、応為』場面写真
引っ越しの多い人生だったという北斎(左)とお栄。荷物の上にはさくらが (c)2025「おーい、応為」製作委員会

この『おーい、応為』のインタビュー時、ある女性のライターさんに「父との関係があまり良く分からないのですが、どうしたらいいと思いますか?」となぜか相談されました。実際僕には娘がいないのですが、「お父さんに小さい頃に何かしてもらったいい思い出はありますか?」とその方に聞いたんです。そうしたら「あります」ということだったので、「その思い出を大切に思って生きていけばいつかは伝わるんじゃないでしょうか。お父さんはきっと分かってくれていますよ」とお答えしました。応為が出戻ってきたことは、当時はあまり良いことではないとされていましたが、北斎としては内心、嬉しかった面もあると思っています。

応為は北斎の何人かいた子どもの中で飛び抜けて絵が好きで、上手かった。彼はきっと応為が小さい頃から、筆の握り方から線の引き方まで教えてあげていたはずです。そんな娘はかわいかったでしょうし、幸せであって欲しいと願わずにはいられなかったでしょう。でも側にいてくれるのは嬉しい、裏腹ですよね。最後の時を迎えるまで応為は北斎の側にいた、それだけでもお互いへの想いが伝わりますよね。時に罵り合ったり、素直になれない2人なのですが、血の通った素敵な親子関係なんですよね。この映画では、これまでの北斎像とは少し違う人間くさい北斎に光をあてることができたのではないかと思います。

北斎は脳溢血を発症しながらも、自分で完治させ90歳まで長生きをして、最期まで筆を置くことはなかった。“人生50年”と言われていた時代にほぼ倍ですからね、確実に超人です(笑)。実際に筆で線を描いていると、とても微妙な震えであっても筆の線はすぐにぶれてしまうんです。少なくとも晩年は、応為が随分と作品の手伝いをしていたと考えるのが自然なことなのかなと僕は思いました。「この作業は任せても大丈夫」と思えるぐらい、応為のことを信頼していたでしょうし。