――篠田家の墓所は岐阜にあって、曹洞宗。岩下家は品川で時宗だとか。
ええ、篠田は私の両親と同居していましたから、品川のお墓詣りにもよく一緒に行って、「僕はこの時宗が好きだから、亡くなったらここに入れてもらうから頼むよ」と言っていて。
亡くなった後で本棚を見たら、「時宗」の本が、まぁ10冊以上ありましたから。相当研究したようです。本当に勉強家でした。
それでも4年ほど前からは「やっぱり岐阜に分骨してもらおうかな」と言い始めたので、その通りにしたんです。いろいろ昔の思い出が蘇ってきて、故郷がなつかしくなったんでしょうね。
――志麻さんと監督との出会いは、篠田監督2作目の『乾いた湖』(1960年)。主演女優のオーディションで、志麻さんを見て即決した、と私は以前、監督から聞いている。脚本家の寺山修司と「あの子ですね!」とにっこり顔を見合わせた、と。
あら、そうですか。オーディションは神楽坂にある日本旅館でしたね。ショッキングピンクの五分丈のショートパンツに、アロハっぽいものをパッと羽織って、金のペンダントをしてる男性が。当然、助監督さんだと思って、「あの、監督さんは?」「僕です」って(笑)。
この作品が私の主演デビュー。相手役の三上真一郎さんとキスシーンがあって、グズグズしてたら、「はい、キスして、早く」って怒鳴られたりしましたね。
この映画をご覧になった小津安二郎監督が、「あの女優はどんなもんかい」って篠田に訊いたんですって。何て答えたか知りませんけど、おかげで小津先生の『秋日和』にちょっと出演させていただき、次に『秋刀魚の味』の主役をいただきました。篠田の『乾いた湖』がなければ小津監督の目にも留まらなかったわけで、今あるのは篠田のおかげだと思っています。