父の言う「余計なこと」が何を意味しているのか分かりませんが、いまになって、
(そうか、父もまた余計なことばかり考えていたのか)
と胸の真ん中に響くものがありました。
「風の強い日だった──」
その町の話になるたび、なぜ、風が強かったことに言及するのか疑問でした。ただ、父の父、つまり自分の祖父は大風の日に海に出て行方不明になった、と母から聞いています。父はそのことを頑なに話そうとせず、母にしても詳しくは知りませんでした。
風に対する畏れのようなものがあったのだと思います。
だから、父にとって、風は警戒すべきもので、決して快いものではなかったのでしょう。
こうしたことも、自分はいまになってようやく理解できるようになったのです。
この町に──月舟町に来て。
*
おかしな気分でした。父の話を聞いて頭に描いていたものが、そっくりそのまま現実の町として目の前にあったからです。たしかに、どこか静かな町で、小さな商店街があって、路面電車の駅があって──。
商店街はごくゆるやかな坂になっていて、ひと昔前の時間が手つかずのまま残されているかのようでした。花屋があって、果物屋があって、時計屋があって、銭湯があって。
風は吹いていませんでした。
自分はときどき、名づけようのないもどかしい感情に襲われるのです。世界が閉じられていくような寂しさがあるのに、わけもなく居心地がよく、あたたかい湯気を浴びているときの心地よさがあります。
あるいは、それを「懐かしい」と言うのかもしれません。