「尊号一件」とは

そこで天皇は、父君に「太上天皇」の尊号をたてまつることを企てました。太上天皇とはいわゆる上皇です。

1788年(天明8年)、公家の中山愛親らが幕府にこのことを通達すると、老中・松平定信は反対しました。皇位についていない人に尊号を贈るのは先例のない事態である、と主張したのです。

朝廷は江戸時代以前の例を持ち出し、朝幕間での学問的論争に発展しました。

寛政3年(1791年)、天皇は貴族の会議を開催し、参議以上40名の公卿のうち35名の賛同を得て、尊号を贈る決定を下しました。

ところが定信はあくまでこれを拒否。

泣く子と幕府には勝てません。やむなく天皇は、典仁親王の待遇改善を条件として、尊号の贈呈を断念しました。これが「尊号一件」と呼ばれる事件です。