壕から出ると、地上にはそよそよと風が吹き…(写真:stock.adobe.com)
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平和への祈りを胸に

先日、夫とふたりで沖縄県の糸数アブチラガマを訪問しました。もともとは集落住民の避難壕であったガマ(自然洞窟)なのですが、戦時中は陸軍病院の分室として使われていたそうです。当時は何百人もの負傷兵で埋め尽くされ、昭和20年5月に病院が撤退した後は、糸数の住民と生き残りの負傷兵、日本兵の雑居状態になったそう。

ガイドさんに案内してもらい、懐中電灯を手にかがんで中に入ります。内部は真っ暗です。手すりにつかまりながら、ゴツゴツした足場を恐る恐る歩きました。壁面にはアメリカ軍が投げ込んだ爆弾の破片や焼け焦げがこびりつき、当時のことを生々しく思い起こさせます。薬の瓶やボロボロになった茶碗も、そのまま残されていました。思わず息を呑むような惨状です。

「当時ここに避難していた人たちがどのような暗さの中で過ごしていたのか、体験してみましょう」とガイドさんにうながされ電灯を消すと、1センチ先にある自分の手すら見えませんでした。

爆撃の恐怖、空腹、うめき声、痛みと悲しみ、恐怖の感情が迫ってくるようで、胸が押し潰されそうな苦しさを覚えます。壕から出ると、地上にはそよそよと風が吹き、先ほどまでの光景が嘘のように、緑の林が広がっていました。

近くにある資料館には、ガマから生還して終戦を迎えた方が、平和への祈りを込めて寄贈したひな人形がありました。少しだけ色あせた顔で微笑んでいるのが印象的に思い出されます。

「知らなかった」では済まされない事実。今まで沖縄の歴史を知ろうとしなかった自分自身に対して、罪悪感すら覚えました。

戦争について深く知り、風化させることなく、次の世代に語り継いでいくことが何よりも大事だと、改めて感じます。悲しい過去があった場所ですが、ひとりでも多くの人に、知ってほしいと思い、ペンをとりました。今度は子どもたちと一緒に訪問したいと思っています。


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