入居して最初の7月、七夕の短冊にA子さんは、一句したためていた…(写真:stock.adobe.com)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは千葉県・80代の方からのお便り。七夕の季節になると、勤務先だった老人ホームのある人を思い出すそうで――。

A子さんの「老春」

今年も七夕がやってきた。毎年この季節になると、決まって思い出す人がいる。10年以上前に亡くなったA子さんだ。彼女は私の勤務する有料老人ホームの入居者で、82歳のときにやってきた。

戦争で夫を亡くし、和裁とお茶の先生をしながら、立派に息子さんを育て上げた人。神戸出身だが、80歳を過ぎて体力の低下と老いの寂しさから、息子さんの自宅に近いこの施設に越してきた。

ふるさとを離れるとき、周囲の人たちから「老人ホームなんて姥捨山みたいなところに行ったらあかん」と、強く反対されたそうだ。あの頃は、まだまだ世間の偏見の目があったのだろう。

環境の大きな変化から、「ホームシックにならないか」というスタッフの心配をよそに、A子さんはフロントの公衆電話から、お友達にこう話していた。「ここは老人ホームとちごうて、高級なグランコートと言うらしい。なかにはお茶室、美容院、図書室、アトリエもあるねん。それに品のいいじいさまもいる。姥捨山どころか、ここは老人天国やで。第二の青春。いや、老春かね。ハッハァー!」。

入居して最初の7月、七夕の短冊にA子さんは、一句したためていた。「異郷にて 友とお喋り楽しくて終の棲家の藤棚の下」。印象的な句である。

これまでのひとり暮らしの寂しさを払拭するかのように、施設内のコーラス部に入り、併設されている保育園の子どもたちにまざって盆踊りをしたり、隣の小学校の運動会を見に行ったりしたA子さん。

正月は小紋を着て、入居者にお茶をたてていたことを覚えている。そのうち地区の老人会で茶道の作法を教えるなど、地域住民とも交流していたようだ。施設の雰囲気にもすぐに慣れ、二言目には「こんないいところに入れてもろうて、息子に感謝せにゃならんね」と。