しかし、87歳のころから徐々に口数が減り、元気がなくなってきた。88歳のときの七夕の句は「七夕や長生きせしを 子に詫びん」。
面会に来た息子さんはA子さんの短冊を見つけて、「母がこんなことを考えていたとは」と絶句する。A子さんの背を叩き、「お母さんは馬鹿だなあ。大丈夫だよ。安心しな」としきりに声をかけていた。
ほどなくA子さんは明るさを取り戻したようだが、亡くなる半年ほど前から軽度の認知症になる。食堂で隣になった入居者のたまご焼きをこっそり食べてしまい、喧嘩になったこともあった。
最後の年の一句は、「七夕や 早くおやつを ちようだい」。それから1週間後、あっけなく天国へ旅立ってしまう。93歳だった。
入居から10年以上、グランコートでの生活を思う存分楽しみ、社会参加をしながら見事に老いを生ききったA子さん。
私も長年勤務した施設を、80歳のときに退職。それから2年が過ぎて、今年、A子さんが入居してきたときと同じ82歳になった。仕事を辞めてからは、ダラダラと句読点のないような生活をして、「燃え尽き症候群だよ」と夫にからかわれている。
A子さんを見習って、これからの「老春」をいかに過ごすか、思案中である。そこで一句「七夕や 老いのこの先 いかにせん」