「絶望さえしなければ 夢はつながる!」

『日本列島 地名の謎を解く』(東京書籍、2021年)に大分県にある「姫島」の由来について書いたことがきっかけで、大分市立判田小学校の6年生との命の交流が生まれました。この交流を生んでくれた石井真澄先生は学年集会を開いて、ALSに負けずに本を執筆している私のことを紹介したそうです。そしてその感想文が届きました。これが判田小学校の6年生たちとの命の交流の始まりでした。

学年集会の後、石井学級では道徳の授業で中国から日本に渡って唐招提寺を開基した鑑真和上について学んだそうです。鑑真は日本からの依頼で幾度も渡日を試みるも嵐に遭って果たせなかったのですが、諦めずついに6度目の挑戦で無事に日本にたどり着いたという偉人です。すると子どもたちの中から「谷川先生と同じだ」という声が次々に挙がったとのことです。まさかまさか、あの鑑真と重ねて見られるとは夢にも思いませんでした。

『ALS 苦しみの壁を超えて――利他の心で生かされ生かす』(著:谷川彰英/明石書店)

私が判田小の6年生に送ったメッセージは、「絶望さえしなければ 夢はつながる!」でした。このメッセージはその直後に出した『夢はつながる できることは必ずある!!――ALSに勝つ!』(東京書籍、2022年)にそのままつながっていきました。同書には交流の一部始終を書きましたが、子どもたちの率直な優しい心に感動して、パソコンを打ちながら涙を抑えることができませんでした。

次に紹介する文章は吉田苺花さんの「卒業論文」の一部です。吉田さんは卒論で地元の熊野神社のポスター作りに取り組んだのですが、うまくいかずくじけそうになったそうです。でもその時私のメッセージを思い起こして奮起しポスターを完成させたそうです。そして次のように書いています。

 

私はこの経験の中で、楽しさや苦しさがあった。だけどこの「苦しさ」は、きっと試練な気がした。私の所へ来た試練は、私を変えてくれる。私を試してくれている。そう思った。だからこそ、どんなに苦しいときでもがんばれたと思ったし、もちろん谷川先生の、「絶望さえしなければ夢はかなう!」という言葉のおかげでもあると思う。

次は、谷川先生や、いろんな人に助けてもらうのでなく私が助ける側になって「試練はいいこと、その試練をチャンスに変えていこう」と言いたい。そうしたら世界中のみんなが、なんでもピンチをチャンスに変えて光の心を手に入れられると思う。私にまた試練が来たら、さらなる成長をとげると、ピンチをチャンスに変えのりこえていけると私は私を信じている。そう、いつまでもいつまでも思っていたい。

 

この卒論を読んで私の心は感動で打ち震えました。6年生ともなるとここまで深く考え書けるものなのか、と。この卒論を世界中の人々に読んでほしいと思いました。特に「そうしたら世界中のみんなが、なんでもピンチをチャンスに変えて光の心を手に入れられると思う」というくだりには涙が止まりませんでした。「光の心」という言葉も素晴らしい! 言われなきウクライナ侵攻を続けるプーチン大統領に突きつけたいと思いました。