顔を上げられるきっかけに

<本作は、2025年と震災発生当時の1995年を巡る、神戸の「あの時」の物語。佐藤隆太さんが演じる主人公の桐野雄介の実家は、六甲山系の麓に佇む老舗旅館。そこでアルバイトとして働く、真美の息子・ひかるに昔の自分を重ね、ボクシングを教え始める。そこに震災が起きて…>

佐藤さん演じる雄介と真美、二人の関係を表す言葉はありませんが、雄介は真美に好意を持っていたはず。これは私の解釈ですが、真美という役は、雄介の痛みの象徴なのではないでしょうか。この作品は震災をはさんで過去と現在が描かれます。第三者が客観的にみた当時の様子というより、震災を経験した人のフィルターを通してみる過去が描かれている。そんなことを感じながらお稽古しています。

阪神・淡路大震災から30年以上が経ちましたね。当時の私は20代で、あの日は仕事で成田空港から香港に向かっていました。まだ香港がイギリス領だった頃です。この30年って本当に激動の時代だったと思います。当時パソコンや携帯電話を持っている人はほぼいなかったのに、今はスマートフォンが当たり前。SNSが生活の中心になるなんて思ってもいませんでした。一歩外に出たら、すごいスピードですべてが動いている。でも、雄介みたいに震災に遭った人たちは、生活は変化する中で心の傷はそのまま、現在まで時が止まっているのではないでしょうか。

本作は、痛みを抱え続けている人が長い間ずっとうずくまっているんだけれど、ふとしたきっかけで過去を受け入れられて、ちょっとだけ立ち上がりかける。その瞬間を描いているように感じます。

抱えきれないほど重い過去の痛みも、現在の中で一筋の明るさと同居していることを思い出す。そうすると過去の痛みも含めて何かが変わっていくんですよね。この舞台が、同じ痛みを経験している人、抱えている人の思いを共有するような、ふっと顔を上げられるきっかけになったらとても嬉しいです。