福島県生まれ。22歳で社会人山岳会に入り登山活動開始。1975年、女性で世界初のエベレスト登頂に成功。92年女性で世界初の七大陸最高峰登頂者に。2016年死去。享年77
(写真提供:一般社団法人 田部井淳子基金)
田部井 母は福島の三春町出身です。誰の前でも自然体で、どんな時でも変わらない人でした。
吉永 私は津軽弁で話す役や、福島から集団就職で東京に出てくる役など、東北出身の役をわりに多く演じてきました。それで東北の言葉が大好きになったので、淳子さんのイントネーションが、なんとも心地よくて。
田部井 嬉しいです。16年に母が亡くなった際、吉永さんからお花をいただきました。なかなかお礼をお伝えすることができず申し訳なく思っていましたので、今回の映画を機にようやく感謝をお伝えすることができ、ほっとしています。
吉永 映画化が決まった時、田部井家にご挨拶にうかがいましたね。
田部井 あの時もびっくりでした。吉永さんがうちにいらっしゃるなんて、大丈夫でしょうかーーと。(笑)
吉永 お部屋に置かれた淳子さんの遺骨を見ただけで、じーんとして。夫の政伸さんが「山にいることが多く、家にいる時間が少なかったから、今うちで休んでもらっています」とおっしゃったのを聞き、胸がいっぱいになりました。いろいろなお話をしましたね。
田部井 お話の中で驚いたのは、吉永さんも昔、山に登っていらっしゃったことです。
吉永 20代の頃、友人のお兄さんに何人かで北アルプスに連れていってもらって以来、すっかり山が好きになって、友人とあちこち登っていました。その後、スキーに転向したので、登山と距離ができたんです。久しぶりに山と向き合うので、淳子さんが初登山をしたという栃木県の茶臼岳や、晩年までよく訪れていた埼玉県の日和田山に行きました。登山口に建てられた淳子さんの碑に、「よろしくお願いします」とお伝えして。
田部井 母にとって思い出深い山に登ってくださったんですね。茶臼岳は母が小学校4年生の時に、先生が連れていってくれた山。昔は体が弱く不安がった母に、先生が「山登りは競争じゃない。どんなにゆっくりでもいいんだ」と背中を押してくれたそうです。今でも母の月命日には、田部井淳子を偲んで登山をしてくださる方々がいます。
吉永 淳子さんの原点ですね。