「20代の頃、友人のお兄さんに何人かで北アルプスに連れていってもらって以来、すっかり山が好きになって、友人とあちこち登っていました」(吉永さん)

役づくりで形見のアクセサリーを耳に

田部井 山での撮影は大変ではなかったですか?

吉永 自分の体調もありますし、お天気にも左右される難しさがありました。ただあらためて、今から50年も前に淳子さんが女性だけの遠征隊で世界初のエベレスト登頂を果たしたすごさを感じて。あの時代に、よくぞ成し遂げたと思います。

田部井 資金集めに奔走したり、家族の理解を得るのが難しかったり、仲間との葛藤もあったり。直面した壁はいろいろあったようです。一つひとつ乗り越え、1975年、35歳の時にエベレスト登頂を成し遂げて、「世界の《TABEI》」と呼ばれるようになりました。

その後もアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロをはじめ各大陸の最高峰に挑戦。52歳の時には女性で世界初の世界七大陸最高峰登頂を達成しました。母が大記録を打ち立てていく一方で、僕は生まれた時から「世界の田部井淳子の息子」と言われる。そのことに反発した時期もありました。

吉永 淳子さんの著書を読むと、進也さんは中学時代あまり学校に行かなかったり、耳にピアスの穴をあけたり……。

田部井 高校を1年で中退し、転校。今思うと、親元から離れたのはよかったと思います。