なぜ、岡田武史は教育の世界に飛び込んだのか

工藤 そもそも今治で岡田さんが最初に取り組もうとされたのは、日本のサッカーを変えていく試みだったんですよね?

岡田 はい。監督としての自分の限界を感じながら、解説者として見た2014年のブラジルW杯。過去最高のメンバーだと評価されていた日本代表は、一次リーグ敗退となりました。素晴らしいチームでしたが、試合中に歯車が狂った時にピッチ上で誰も立て直せなかった。その結果を受けて、選手たちの主体性・当事者意識の不足を指摘する批判の声もありました。

たしかに、そういう面はあると僕も思った。主体性を発揮できない。それはなぜなのか、どうしたら日本のサッカーをもう一段強くできるのか。そう考えていた時、FCバルセロナのメソッド部門ディレクターだったジョアン・ビラ氏との出会いがありました。

(写真提供:Photo AC)

そこで、彼から「スペインにはプレーモデルという型があり、それを16歳までに落とし込んだ後は自由にプレーさせる」と聞かされた。その時、「ただの自由から革新的な発想は出てこない。型があるからこそ、それを覆す発想が出てくるのではないか。それなら、日本人が世界で勝つための型を作って、それを16歳までに落とし込み、後は自由にするクラブを作りたい」と思ったのです。

そうしたら、いくつかのJリーグのクラブが「全権を任せてもいい」と手を挙げてくれました。

でも、それだと今あるチームを一度壊さなければいけない。過去の指導をすべて否定するようなネガティブで時間のかかる方法ではダメだ。そう思っていた時、以前から交流のあった当時四国リーグ(国内5部に相当)所属のFC今治のオーナーと話す機会があり、胸の内を明かすと「うちでやればいい。ただし、株式を51%持つ形でやってほしい」と言ってもらえた。そこで、思いきってクラブを引き継ぎ、チャレンジすることにしたのです。

そうして一からクラブを作り上げていく過程で、地域の課題に気づき、「これはサッカーだけの話ではない」と考えるようになりました。そこで「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する。」という企業理念を掲げ、活動を始めたのです。