日本語教室の生徒たちの国籍はさまざま(写真提供:中里さん)

学生時代のご恩返しを

一方、週末には地元で「にほんごの会」のボランティア活動を続けて24年目だ。会の設立者からバトンを受け取り、昨年からは代表も務めている。

「大学時代にスペイン語を専攻して、1年間スペインに留学したことがあります。そのときに本当にたくさんの方に助けていただきました。その後、日本語教師の資格勉強をした時期もあり、これを何かに活かせたらと思ってボランティアを始めたんです。自分が親切にしていただいた皆さんに直接お礼をすることはできませんが、せめてものご恩返しのつもりで」

授業を重ねるなかで信頼関係がうまれ、最初は不安そうだった生徒に笑顔が出ると、活動をやっていてよかったとしみじみ感じる。中には10年来の付き合いで、個人的な相談に乗る間柄の人もいるという。

「日本人と結婚したタイの女性で、義母が認知症になられた方がいるんです。言葉の問題もあり、どうしたらいいかわからない。追い詰められてしまって家を出てきたと、夜中に電話がかかってきて。ご主人も交えてお話ししたこともありました」

一見ジャンルは違うが、産後ドゥーラも日本語教室も、困って心細い思いをしている人たちを助ける点が共通している。

「人の役に立てたらいいなとは思いますが、それは結果であって、未知のことをやってみたいという好奇心が先なんです。生きている間に出会える人の数って限られていますよね。でも、産後ドゥーラも日本語教室も、向こうから来てくださる。まったく知らない方から依頼が来て、その方の人生に関われる。そういう喜びや面白さがあります」

興味のままに積み上げてきた経験が、今のようなやりがいのある毎日に繋がっているのは幸せだと、中里さんは生き生きした笑顔を見せた。

3へつづく

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