できることが減っていく祖母を見つめて

『ヤングケアラー 介護を担う子ども・若者の現実』著:澁谷智子(中公新書)
 

Cさんは在籍していたのが大学院であったため、詳細は、小学校や中学校、高校と違うところもあるかもしれない。ただ、自分が学校のルールを逸脱していてそれが低い評価につながっているという意識を持ち、なんとか頑張ろうとするものの自転車操業で疲れていき、到達可能なゴールが見えずにあきらめる、というプロセスは、他のヤングケアラーにも通じるところがある。

認知症の祖母を6年間介護した前出のAさんは、「学校とは、能力を向上させて社会に役立つ人間になることを目指す場所であり、時間の経過と共にできることが減っていく要介護者のケアと、価値観の上で矛盾を起こす面がある」と語る。

Aさん 自分のできることを増やして、能力を向上させて、まぁ、周りの人から見て役立つ人間になれる、みたいな、そういう方向性って学校にあるじゃないですか。それはやっぱりみんなわかってる。でも、家に帰ったりすると、たとえば私の祖母で言えば、どんどんできることが減っていくわけですよ。

筆者 おばあちゃん?

Aさん 祖母がね。できることが減っていく。歩けなくなっていくとか、ごはんが食べられなくなっていくとか。その過程で、二重規範っていうか、ダブルバインドに直面する。

筆者 あぁ。

Aさん 学校にいれば、能力の向上を考えていればいいわけですけれど、家にいる限りは、ケアが必要な人が能力を向上させていったり、できることを増やしたりしていくというのは、まずないことなんですよ。

筆者 はい。

Aさん そういう人と付き合っていくわけですから、必ず心の中で矛盾が起きるはずなんですよ。自分の家族ができないことが増えていっているけど、「価値のない人間なのかな」みたいなことを……考えるっていうよりも、徐々に芽生えてしまうんですけど。それらの矛盾に一番直面しなくてはならないのが、ヤングケアラーなんじゃないかな。ある程度年取ったケアラーならば、割り切れる面もあるけれども、子どもである時は、どういうものを良しとするかみたいなものが……。

筆者 うん。

Aさん 私が高校生の時には、思っていましたね。まわりの人からは、成績を伸ばしたりしていくことを「推奨」される。で、家にいる祖母は、それとは真逆の存在なわけで。それなのに、祖母は、まわりの人とか社会から責められるわけではない。二つの対立する価値観があるけれどそこはあまり考えないようにしようよっていうのが、「世の中」じゃないですか。でも、その矛盾とは、かなり深く向き合わなきゃいけないというのはあったんだと思います。

筆者 それがやっぱり……そういう思いが。

Aさん ものすごくストレスたまったんですけど、それが。自分は能力を伸ばしていけるけど、それで評価もされるでしょうけど、いざ、家にいて隣で一緒に暮らしている人は、別にできなくなっていっても、誰からも責められるわけではないし、責めるわけにもいかない。

筆者 うん。

Aさん ケアが必要な人……まぁ、いろいろなことができなくなっていくわけですから、それを責めないというか、差別しない、排斥しないということを前提とするならば、こっちも、あまり能力を伸ばしていったりすることに過度に目を向けるわけにいかないんですよ。今、目の前にいる人を肯定するならば、どこまで肯定するかですけど、尊重すればするほど、じゃ、自分がしている学業とか学校生活って何なの? とは思いますよね。