好きにならなくていい

太田との結婚後、経済状況が厳しい時も母は保険料の取り立てにきました。さすがに太田も驚いていましたね。父が亡くなった後も母とは冷戦状態でしたが、母が80歳を越えたころから、母が倒れた時に近所の人から連絡がくるようになったんです。ある時、母の胸元を見たら、家にあった仏壇と同じ形のペンダントをしていました。開けると達筆な文字で「光代」と書いてあって、思わず笑ってしまいましたね。

タイタン社長 太田光代さん
タイタン社長 太田光代さん

母はもうすぐ100歳になります。足を悪くしたのをきっかけに施設に入居していますが、それまで同居をしていました。私は一人っ子なので、最終的に親の面倒を自分が見なきゃいけないことは、子どものころからわかっていました。母は「あなたの面倒にならない」とか好きなことを言いますけど、そんなことはありえない。もうしょうがないと思っています。

もともと私は、子どもの頃は母のことはものすごく好きだったんですよ。父が来るまでは母にべったりでしたので、もし母が結婚しなかったら、私はどんなことをされても、母親についていったと思いますね。「ずっと私がそばにいないとだめだ」と思っていただろうし、結婚もしなかったかもしれない。私たち母子は、そもそも相性が悪かったのかもしれません。

今となっては、母を好きになろうと思っても無理ですよ。知り合いでも、「母が亡くなった後でもやっぱり好きになれない」という人は山ほどいます。私も思うんです。母が死んでも多分涙も出ないなって。従姉からは「そんなこと言うもんじゃないよ」と諭されますが、そういう気分にならないと思うんですよね。母について語るのは、まだ母が生きているのにかわいそうかもしれないですけど、母とのできごとを今思い出しても頭にくることがある。何度思い出しても気持ちがざわついてしまうけれど、それはどうにもならない。

だから「許せない気持ちをどうにかしよう」と思わないほうがいい。母親を亡くされて「ああ、もうほっとした」って言っている方の気持ちのほうに、私はむしろ理解できます。親がいないと私は存在しないとはいえ、無理に自分の気持ちにふたをしなくていい。「母はこういう人だから」と割り切っていくしかない。 

母親との関係に悩んでらっしゃる方も、自分を大切にすることがいちばん。母親と一緒にいなきゃいけない状況はあるかもしれませんが、そこで無理に、母を好きになろうとしなくていいんじゃないかな、と思うんですよね。お互いに無理せず、自分のために生きられるのが理想でしょうか?母子ですから。

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