あたしは猫じゃらしを究めた。いつもは一〇〇円ショップで買うのだが、ネットを検索し、よさそうなのを買い足し、この頃じゃグリップの握りやすい伸び縮みする棒に、鳥の羽根のついたねずみやら蛇やらイワシやら、手芸用のモールなども取り付けて、魅力たっぷりの猫じゃらしができあがっている。あたしはそれに生命を与え、性格とシチュエーションを設定し、誘うように、ないしはからかうように、あるいは傷ついて息もたえだえに逃げ回るように、動かすのである。
エリックは、ますます猫じゃらしのとりこになった。あたしが自分の部屋からリビングに出て行くと、つねにそこにいる。
それまで本棚の上にいても、見えない場所で寝ていても、あたしがリビングに行くや瞬間移動して、あたしの前にすわっている。ときには、待ちかねたあーという準備運動の伸びをしているときもある。
これは……とあたしは考えた。
エリックは、あたしと猫じゃらしの関係を理解している。しかし遊んでいるときは、猫じゃらしの先しか見ていない。そこにあたしは存在してない。真剣な「狩り」でしかない。狩りの獲物は生命のない、羽根や布やプラスチックの集合体で、あたしが動かしているということはまったく考えていないようだ。でも、あたしを待ってるということは、猫じゃらしはあたしとの「遊び」だということを理解しているのである。
