それで、ズンバなんですけどね。
単調なあたしの日々の生活で、ゆいいつの時間制限のある活動が、ズンバであります(ゴミ出しもあるが、今は語らない)。
ズンバのクラスは日によって違う。十一時のクラス、一時のクラスと時間は設定されていて、その時間に行くと他にも人が来ている(数人の小さいクラスなんである)。ここで知り合った友人たちだ。そして始める、修行か体育会系の部活かというような一時間。全員が無言で、前を向いて、鏡を見て、先生を見て、汗だくになって動く。終わったら、ちょっと話してすぐ帰る。
これって二歳児のやるような「並行遊び」というやつではないか。三歳児になると、お互いが干渉し合う能力ができて、「ごっこ遊び」に発展していくのである。
ひとりでやるよりいっしょにやったほうが断然楽しいから、その時間に行くわけだし、あたしはみんなのことを「友だち」だと思っている。このつきあい方がすごく楽だ。深みに入ってマウントとったりとられたりということがない。体力も耐性もなくなってきてるから、こういうのがほんとに楽だ。お友だちできてよかったなあと、七歳のときに感じたようなことを七十歳になって感じている。
あたしは、人間の友だちとは並行遊びをするのに、猫とはごっこ遊びをするんだなと思い当たってみたら、おかしくてたまらない。これが人間の進化というやつ。
『対談集 ららら星のかなた』(著:谷川 俊太郎、 伊藤 比呂美)
「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」
ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。






