秀長は家康に要求できるだけの影響力をもっていた
逆に家康に要求することもみられた。
天正16年4月末から閏5月初めにかけて、秀長は、本願寺の依頼をうけて、家康に、三河門徒寺に対する京都までの普請材木運送人足役の賦課の免除、さらには三河門徒七か寺の三河還住について取り成して、承認させている(『羽柴秀長文書集』237・『愛知県史資料編12』1399〜1401号など)。
これは家康に対する「指南」としてというよりは、本願寺が、秀長が家康への「指南」であったため、それを見込んで秀長に要請してきたのであろう。秀長はそのように、家康に要求できるだけの影響力をもっていたのであった。
ちなみにこの件について、家康と本願寺への取次は、家老の羽田正親(長門守、?〜1595)が務めている。ここから羽田も家康への取次を担当していたことが知られる。
