秀長による本拠招待は一種の得意技?
この家康と吉統の郡山城訪問は、秀長が「指南」を務めた外様大大名によるものとして、初めての事例にあたっている。
こののち秀長は毛利輝元・小早川隆景・吉川広家、島津竜伯(義久)・義弘を、あいついで郡山城に招くことになる。秀長が彼らを郡山城に招いたのは、「指南」を務めていることをもとに、親密な政治関係を形成していたためといえるだろう。
とはいえ「指南」だからといって、本拠に招くことが通常のことであったとはみられない。この時期の羽柴政権において、「指南」が本拠に外様大大名を招待したものとしては、それらの事例しかみられていないからである。
そうすると秀長による本拠招待は、秀長特有の事象とみることができるように思う。それらの大大名との政治関係を、さらに密接化させるための、一種の得意技というべきものであったかもしれない。
※本稿は、『秀吉を天下人にした男 羽柴秀長 大大名との外交と領国統治』(講談社)の一部を再編集したものです。
『秀吉を天下人にした男 羽柴秀長 大大名との外交と領国統治』(著:黒田基樹/講談社)
秀吉唯一の実弟にして名代。
秀長は、外様大大名をどのように「指南」し、首都大坂近郊の領国をいかに統治したか。
徹底的に蒐集した史料をもとに、これまでほとんど知られていなかった、その実像に迫る!





