吉本興業発展のあらまし

吉本の歴史は1912(明治45)年に吉本泰三(本名は吉兵衛)とその妻、せいが当時傾きかけていた第二文芸館という寄席の営業権を買い取ったことにはじまる。

この寄席があったのは大阪天満宮の裏手で、かつて天満八軒と呼ばれ、その名の通り8軒の寄席がのきをつらねていた場所である。翌年には吉本興行部を名乗り、安価で一般受けを狙った路線で成功。次々に寄席を買収し、全盛期には大阪で20軒以上の寄席を所有する巨大企業へと発展する。

『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』(著:長﨑励朗/中央公論新社)

吉本泰三は、その過程で1924(大正13)年に亡くなっているが、そのあとを引き継いだ吉本せいやその実弟である林正之助、林弘高らが経営を担い、1935(昭和10)年には東京に浅草花月劇場を開くまでに成長した。

以上が駆け足でたどった吉本興業発展のあらましだが、ここで吉本が拠り所としていた常設の寄席という場所についても少し説明が必要だろう。