(写真提供:Photo AC)
1920年代から30年代の大阪市は「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれていました。この大大阪について、「人口で東京を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていた」と語るのは、桃山学院大学社会学部准教授の長崎励朗先生(崎はたつさき)です。そこで今回は、長崎先生の著書『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』から抜粋し、ご紹介します。

寄席とテレビの連続性

当時の吉本がどのような存在であったかを現代と照らし合わせながら概観したい。

周知の通り、吉本は大阪を代表するエンターテインメント企業である。テレビをつければ、お笑い番組からバラエティ番組、はてはワイドショーのコメンテーターにいたるまで吉本芸人を見ない日はない。それゆえ、現代こそ吉本興業の最盛期であると捉える人も多いかもしれない。

しかし厳密に言えば、これは吉本にとって二度目の春であって、1920年代から30年代にかけては現在と同等か、視点によってはそれ以上に隆盛を極めていた。

そこにいたるまでの歩みについては『女興行師吉本せい』をはじめとする評伝や、通史に近い『吉本興業史』、山崎豊子の小説『花のれん』、NHKの連続テレビ小説『わろてんか』などのフィクションといった様々な形をとって一般に知られている部分も多いため、ここでは必要最低限の情報だけ整理しておこう。