寄席の社会的位置づけは全盛期のテレビに近かった
足を踏み入れたことのない人は寄席と聞くと、落語や漫才だけを演目とする場所であると勘違いする向きがあるが、実際にはそうではない。
現在でも落語の間に曲芸などが演目に入ることも少なくないが、当時の寄席はさらに多様だった。喜劇、剣劇、浪花節や安来節などの歌もの、映画上映、はてはミュージカルやダンス、レビュー(宝塚歌劇を想像していただきたい)などの洋風の出し物まであらゆる見世物が寄席でおこなわれていたのである。
営業形態だけ見れば、これは現代のライブハウスに近い。実際、芸人がライブハウスでお笑いイベントを企画することも少なくないから、よく似たものを想像してもらえれば、半分は正解である。
ただし、社会的位置づけは大きく異なる。なぜならテレビやラジオがなかった当時、寄席は娯楽の中心だったからだ。大阪市社会部が1923年に発行している『餘暇生活の研究』によれば、大阪に存在する常設の娯楽施設は芝居が16件、活動写真(映画)が35件、寄席が69件、その他が6件となっている。
前述のように実態として寄席で芝居をやることもあれば、映画上映をすることもあったことを考えれば、エンタメ系の娯楽のほとんどすべてを発信している場所であったといえる。したがって、当時の寄席の社会的位置づけは全盛期のテレビに近い。