踊りの世界に気持ちが向いたのはその頃でしょうか。もっと小さい時?
――そうですね。子どもの頃に八王子の神社の広場で盆踊りに出合ったのが最初かな。家から延々と暗い道を、缶カラに蠟燭を立てて従兄弟たちと歩いて行くと、だんだん明るい光が森の中から見えてきて、着くとそこでみんなが踊ってる。僕はすぐにその輪の中に入って、自己流で踊りましたね。
大学に入ったものの結局中退して、今度は正式に踊りを習ってみようと思い立って、クラシックバレエとモダンダンスを始めました。
戦後にできたアメリカ文化センターには本国から踊りの教師がよく来てて、日本人を教えてる。そこで教わった人たちから、僕はモダンダンスを習ったんです。
マーサ・グラハムがかなり晩年に来日した時、舞台挨拶なさるのをエスコートしたことがありますよ。アキコ・カンダさんのスラーッとした踊りも見ています。これがアメリカの踊りか、と思ったものです。
しかしその後、なぜクラシックバレエやモダンダンスと訣別したかと言えば、踊りの本質を考えた時に、劇場で踊るというのはヨーロッパから来た文化だよな、と。お客は客席の権利を買って、それぞれがその権利を持って見てる。
衣装も何か変だし、客席も変だな、窮屈だなと思い始めたら、裸体になり、体中の毛を剃り、急所にだけ包帯を巻き、そして、全身を泥人形のように土色にして、「身」一つになってどこででも踊るスタイルに行きついた。
人に見せるというよりは、踊りがどこにあるのかを僕自身が感じ取りたくて、そんな試みをしていた、というものです。