そして第1の転機となるのは78年のパリデビューではないだろうか。

――そうですね。パリで最初に行われた日本文化を扱った大きな芸術祭でした。日本側のプロデューサーを武満徹さんと磯崎新さんが担い、会場はルーヴル美術館で、僕は「裸の踊り」で参加しました。

最初は1週間の予定が、お客さんが増えてしまい、結局、3週間毎日、多い時で5公演、踊ったのです。芸術家や哲学者、ジャーナリストもヨーロッパ中から集まってきましたよ。

向こうでは「わからないもの」に称賛を送る。わからないからこそ夢中で観る、っていうわけです。

その時、僕が考えている踊りというのは、「違い」を見せつけるものじゃないってわかりましたね。踊りは人間同士のことなんだ。多分それは、踊りが始まった理由の一つだと思います。差異を見せつける、それじゃ、戦争になりますよね。

このパリデビュー、これが第1の転機です。

後編につづく

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