ウイルス騒ぎで見えてくる異文化圏カップルの壁
いつだったか、どこぞの呉服店が作った「ハーフの子を産みたい方に。」というキャッチコピーの宣伝について、国際結婚をしている立場としてどう思われますか、という取材を受けたことがあった。どう思うも何も、その広告自体遡ること数年前のものであり、世間では既に炎上済みだというから、私が今さらここで述べる見解なんてナンセンスじゃないですか、と笑いまじりで答えつつも、心中では「なんて甘いんだ……」という自分の低い声が地鳴りのように響いていた。
私のイタリア人の夫は14歳年下である。結婚当初まだ大学生だった彼が、子持ちの東洋女と一緒になろうと思ったきっかけは、私と同じく「古代ローマの話だけでこれだけ盛り上がれる人には会ったことがない」からだった。要するに一般的な結婚としての概念は私にも彼にも一切なく、好きなことを好きなだけ一緒に喋れたり、単純に読んでいる本を共有することができたり、子供もいるので海外を共に転々とするには家族であるほうが便利だから、というのが理由だった。
しかし、結婚して間もなく、私は改めて異文化圏同士で家族となることに付随するハードルと否が応でも向き合わなければならなくなった。数え上げればきりがないが、例えばイタリアのマンマの息子に対する独占支配的愛情は、私にとって常に計り知れないものであり、日本人には理解不能なこの親子の結束が理由で何度離婚という言葉が脳裏を過ったか知れない。
近年だと、私の漫画が実写化された時に、契約書の取り交わし方や著作者の権利についても、日本のやり方はどうかしているのではないかと、夫家族とは毎日嵐のように揉めまくったことがある。なんでも弁護士や交渉人を間に立てる彼らにとって、日本独特の出版社と作家の密な関係性は理解不能だったようだが、あれも異国の人間との考え方の徹底的な相違を突きつけられた苦い思い出であった。
そしてこのたびの新型コロナウイルス騒動においても、私と夫は毎日ネット電話越しに大いに揉め続けている。夫の家はイタリアにおいても感染者数が上位を占めるベネト州にあり、お隣のミラノのあるロンバルディア州と同時に早々に州境が封鎖され、そうこうしているうちにイタリア自体が渡航中止勧告の対象国になってしまった。
日本にいた私はイタリアに戻れなくなり、ひとり自宅に軟禁状態となった夫は退屈なのか毎日のように「日本の対応は緩過ぎじゃないか」と批判電話をかけてくるようになった。黙って聞いていれば、君たちはとにかく負の事態への想像力が不足している、緊張感が足りな過ぎる、などといった文句の数々が噴出する。私に言ったところでどうしようもないのだが、確かに今回、それぞれの国が取った対応には、それぞれの国の考え方や事情が垣間見えてくるのも事実だ。イタリアでの感染拡大の理由としては、最初から多数の人たちの検査を受け入れたこと、そしてハグやキスといった挨拶の習慣(これはイタリアに限ったことではないが)などが報道では挙げられている。
地域封鎖で観光地が経済的ダメージを被っている話を振れば、「金より人の命だろ」と夫。「イタリアは何世紀もこうした疫病と向き合ってきたから判断は間違っていない」と断言してこちらの意見を聞かない。思いがけない側面からも異文化間のハードルを感じて疲れ切った私だが、それを日本の友人にいうと「いや、別にそれって日本人夫婦の間でも普通にあるから」といわれて、ほんの少し落ち着いた。