「戸惑う私の背中を押してくれたのは、「多くの人の命がかかっているときよ。不安な気持ちはわかるけど、あなたの知識をもっと広く伝えるべきだと思う」という友人の言葉でした」(撮影:大河内禎)
2017年、週刊誌の報道で秘書への暴言が明るみに出て、世間から大バッシングを受けた豊田真由子さん。順風満帆だった人生が一変しました。当時のことは「パニック状態で記憶が定かではない」というものの、沈黙を貫いてきた3年をどう過ごしてきたのでしょうか。現在発売中の『婦人公論』6月9日号に掲載された、ロングインタビューを配信します。(構成=丸山あかね 撮影=大河内禎)

情報番組の出演依頼を受けた理由

現在、新型コロナウイルスにどう立ち向かうか、テレビで解説する機会をいただいていますが、出演オファーをお引き受けするまでは、ずいぶん悩みました。「あいつの顔など見たくない」といった視聴者からの抗議が殺到したらどうしようと、不安だったからです。

最初の出演は3月9日。当日の放送までどなたにも言っていませんでしたが、ずっと支え続けてくださった方々から、「うれしくて泣きながら観たよ!」というメッセージをいただきました。また一般の方々からも、思いがけず好意的なお言葉をたくさんいただき、少しホッとしたところです。一方で、私の出演を疑問視する声も聞こえてきます。当然ですよね。たとえどんな事情があろうと、私は決してしてはならない言動をしてしまいました。申し訳なく、いたたまれない思いは、今もずっと続いています。

あの騒動以降、私は人目を避け、隠れるように暮らしてきました。いろいろなメディアからのオファーも頑なにお断りしてきたのに、なぜ今回はお受けすることにしたのか。話は、新型コロナウイルスに関する第一報が流れた1月初旬に遡ります。

「中国の武漢で原因不明のウイルス性肺炎が流行」と報じられた頃はまだ、おそらく多くの方が対岸の火事を眺めるような気持ちでいらしたのではないでしょうか。でも私はすぐに、「これはマズいことになりそうだ」と察しました。「かなり情報統制をしている中国で、これだけ情報が出てくるということは、実際はもっと被害が出ているはず。日本も、適切な対応を取らなければ大変なことになる」と考えたのは、過去の経験によるものです。

私は、厚生省(現・厚生労働省)に在職中の2000年に国費留学生として、ハーバード大学大学院で公衆衛生学を学びました。そして、WHOからパンデミック宣言が出された09年の新型インフルエンザの世界的流行の折には、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で、外交官としてWHOや各国代表とともに最前線で対処にあたりましたので、感染症対策への知見と経験があったのです。

とはいえ、もはや官僚でも政治家でもない私にはできることがありません。せめて現在の職場である社会福祉法人では、新型コロナウイルスに関する正しい知識を持ったうえで高齢者や園児に接してもらいたいと考え、職員向けに対処法を書きました。

同じものを、親しい友人が経営する会社内でも使ってもらえたらと思いメールで送ったところ、「これ、わかりやすい!」と周囲の方に広めてくれて、それがたまたま情報番組のプロデューサーの目に留まり、番組からの出演依頼となったのです。

戸惑う私の背中を押してくれたのは、「多くの人の命がかかっているときよ。不安な気持ちはわかるけど、あなたの知識をもっと広く伝えるべきだと思う」という友人の言葉でした。