夫の武運長久のため、観音経を覚えて
確か、私が小学6年生の9月18日だったと思う。日本と中国との間で戦争がはじまった。私にとって、このころから15年もの長い長い戦争が続く。昭和14年に20歳で結婚したが、国は待ちかまえたように夫に赤紙を送ってきた。赤紙とは召集令状のことだが、真っ赤な紙ではなく、ペラペラのうす桃色の紙で、なんの威厳も感じられない。天皇陛下がくださったとは思えず、がっかりしてビリビリ破り捨てたかった。そして号泣した。
1ヵ月後、夫は夜の闇に紛れて姿を消した。軍の機密とかで、家族にも行く先を告げず、夜中の零時に奉公袋一つ持って。
お姑様が私を呼んだ。
とうとうあの子は戦地に行きました。妻のあなたが観音経をあげて、武運長久を祈ってください、とおっしゃる。私はびっくり仰天した。観音経など聴いたこともない。
街では「唄入り観音経」という浪曲が流行していたが、こちらで流行ったあらすじというのが、「凶悪なやくざが田舎のおばあさんから教わった観音経を毎日あげていたところ、死刑執行の当日に役人が帳面をひらくと、確かに押したはずの死刑決定の書き判が消えて白紙になっていたので、刑は取りやめになった。凶悪犯は観音経のお慈悲に感涙して前非を悔い、お坊さんになって全国を巡って修行した」というものなのだ。
お姑様はそれを耳にして、信じてしまったのだろう。息子が戦死しないよう祈ってください、と私に頼まれたものと思われる。
お経本を開くと、相当に長いお経で、13回も「念彼観音力(ねんびかんのんりき)」という文字が出てくる。「推落大火坑 念彼観音力」とか「龍魚諸鬼難 念彼観音力」とか、次から次へと「ねんびかんのんりき」が出てくるので、次はどの文字のあとに出てくるのだろう、とわからなくなって泣きたくなる。
あーあ、とため息をつくと、昔、英語の単語を覚える時カードを使ったわ、と思い出し、カードを買ってきて全部書き写して、炊事する時もポケットから出して「念彼観音力」と唱え、2ヵ月かかってやっと覚えた。観音様ありがとうございます、主人を無事帰らせてください。お母様と一緒に武運長久を祈り続けた。
不穏な空気が漂うなか、祖国を目指す
昭和20年8月、青空には大きな入道雲が広がって、カンカン照りの暑い日だった。日本はついに戦争に負けた。
ラジオで天皇陛下のご勅語をお聞きして涙しながら、夫の安否が気遣われた。涙、涙で呆然と座り込んでいると、突然玄関で大きな音とともに、白衣の男たちが土足のままなだれ込んできた。ラジオで日本が負けたことを知ったのだろう。いままでぺこぺこしていたのに、豹変した男たちは、洋服ダンスや押入れを蹴破って、外套、ワイシャツ、ネクタイ、男物の洋服を抱え荒らし回って去っていった。
すると、すぐに第二の泥棒たちが押し寄せて、坊やが寝ている長椅子を担ぎ出そうとする。放り投げられた大切なわが子の涙声に怒り狂った私は、
「モントングリコンダルギヨトッケビタンシンチビオデヨ!」
とあらゆる悪口を叫びながら、仏壇に安置していた、40センチほどの棒が芯になっている般若心経の巻物を振り上げた。思い切り金切り声を上げて「打つぞ」と叫んだら、ピストルと思ったのか、男たちはあわてて外に飛び出した。
私は子どもを横抱きにして、父の家に駆け込んだ。先ほどの悪口を翻訳しますと、「このくされきんたまのばかもの化け物がどこの家から出てきた!」というものです。この地で生まれ育って25年もすれば、いつのまにか下品な言葉まで覚えてしまう。