昔日本は、大国ロシアに勝ったのだから、アメリカにも勝てると信じていたのに、突然落とされた原子爆弾にはかなわなかった。たちまち進駐軍がやってきて、小さな車で街を走り回る。マッカーサーが在朝する日本人は一人残らず日本に帰るように、と命令した。アーノルド将軍が発行した1枚の出国証明書を渡されれば、この国を出て行くほかない。

両親が寒さ厳しいこの地で営々と築いてきた莫大な財産と、永住できると信じてつくった先祖代々の御影石のお墓もそのままに、故郷に錦の夢破れ、よれよれの国民服1枚で、この地を去る。老いた父の姿に隠れてそっと私は涙した。

はるか遠い祖国日本へは、海を越えなければ帰れない。港のある釜山に着くと、白い水鳥が空高く舞ったり、砂浜をよちよち歩いたり、戦争などどこ吹く風かと言わぬばかりの優雅な姿。波も穏やかな海上には、日本陸軍海防艦・栄江丸が威厳をもって静かに浮かび、私たちを待っていた。

日本が戦争に負けた、とは思わなかった。形だけ国土は荒らされたが、強く清らかな国民性は厳然と残っていると信じていた。栄江丸は陸軍の海防艦だから、水兵さんではなく、陸軍のカーキの軍服を着た兵隊さんが、きびきびと頼もしく働いておられた。

タラップを上り、私たち一行は無事に乗船した。あたりを見渡すと、すでに先客が大勢乗っていた。みな疲れ果てて薄汚い。近くの女の方に声をかけると、自分たちは満洲国の警察官の家族で、中国から追い出され、身のまわりのものをすべてとられて、日本人の子どもは賢い、と子どもまで連れて行かれてしまった、と泣き泣き話された。

そういえば、夫らしき人も見当たらない。ソ連に連れて行かれた、とのことで、お互い手を取り合って目を潤ませた。この栄江丸が、翌朝10時にソ連が仕掛けた機雷に触れて沈没するなど、この時の私たちは知る由もなかった。

 

タイタニックという豪華船の悲劇そのもの

波に揺られて、眠れぬ夜がやっと明けた。朝食の用意で乗組員も乗客も右往左往していた。突然ドドドドカーンと、爆弾を2つも3つも落としたような大きな音とともに、頭上から真っ黒の重油が土砂降りのように降ってきて、誰もが真っ黒な人形と化した。

なにがなにやらわからぬままに、またドカーンとやってきて、みな空中高く飛ばされ、鉄板のうえに叩きつけられた。またそのうえに、重油が降り注ぐ。目も開けていられない。私は腰や顔や頭が痛くて、起き上がれなかった。昔映画で観たタイタニックという豪華船の悲劇そのものだ。

息子の姿が見えない。父も母も、お産をして20日しか経っていない兄嫁も、5歳の甥も、生後20日の赤ちゃんも、みな散り散りで、水はひたひたと腰まで上がってくる。機雷にやられた船は真っ二つにわれ、船尾は沈みはじめていた。

重なった鞄や信玄袋のなかから、赤いベビー服を目印に兄のところの赤ちゃんを引っ張りあげた。甲板だけまだ浮いているが、兵隊さんがみな海に飛び込め、と指図している。怖くて動けないでいたら海に投げ込まれ、私は真っ逆さまに頭から海に突っ込んだ。