待望の第2子妊娠に、両親は「困ったことになった」

母を連れて大学病院に行くと、あっさり正しい病名が判明した。医師の「パーキンソン病ですね。頭部のこの部位が白く見えるでしょう。ドーパミンが出ていないということなんです」という診断を、私と両親は冷静に受け止めた。といっても、その時は単にパーキンソン病について無知だっただけだ。

大学病院に通院するのは距離的に難しいため、実家近くの医院を紹介してもらった。パーキンソン病は、神経伝達物質が徐々に減少し、運動機能が衰えてくる。手足の硬直や震えが起き、やがて歩けなくなり、最終的には寝たきりになることもあるという。治療は難しく、投薬で進行を遅らせるしかない。

病気の深刻さを知り、家族全員がショックを受けるなか、母はその原因を「この家に嫁いで苦労してきたせいだ」と断じた。私と姉は、できる限り闘病に協力すると約束。親の意向に反して嫁に行ったのだから、実家の世話を手厚くしなければならない。

こういう最悪のタイミングで、神様から私に一つのギフトが届く。待望の第2子が宿ったのだ。私は38歳になっていたため、出産はギリギリのタイミングだったと思う。夫と4歳になる長女は、新しい家族ができることに大喜びした。それに力を得て、実家の両親にも伝えると、2人は「困ったことになった」と嘆いた。この状況で、親からの祝意を望むほど私もポジティブではなかったが、病気の母を元気づけられるのでは、と少しは思っていたのに……。

母は、「あんたたちしか頼れる人がいないのに、私はこれからどうしたらいいの?」。父にいたっては、「その赤ん坊、本当にほしいのか」などと言い出す始末だ。自分たちのためなら、まだ見ぬ孫など、人の頭数にも入らないらしい。

私は、姉にもすぐ自分の妊娠を告げた。すると、「あんたは、とにかく無事に赤ちゃんを産むことに専念しなさい。親のことは私に任せて。赤ん坊がある程度落ち着いたら、役割を分担していこう」と、頼もしく請け負ってくれた。

翌年生まれた第2子は男の子だった。母は、「よかったね。男の子は将来、頼りになる」と、ここでも一刺しを忘れなかった。息子が幼稚園に入園するまでは、姉が両親の通院や買い物に付き添い、ドライブなどの気晴らしをさせ、よく面倒を見てくれた。