私たちに謝意を示すのは、母にとって負け

パーキンソン病と診断された5年後、母は要介護2に認定された。杖なしでは歩けず、動きが緩慢になっていた。私は、ケアマネジャーとの折衝、通院、買い物、話し相手をするために、週に3回実家に通った。電動ベッドの設置や手すりの取りつけ工事、福祉用具のレンタルをする際にも立ち会った。「パーキンソン病だからね」と、常にそれを理由にするが、元気なころから面倒なことはできる限り子どもに任せるのが、この人の処世術だ。

パーキンソン病の機能回復訓練として、軽いスクワットをする、洗濯物を干す、畳む、足元に気をつけて散歩するといったことが推奨されている。母はその一切を拒否した。洗濯と掃除は私に、物の運搬は父に言いつけた。食事は姉と私が準備したり、宅配弁当を利用したり。お風呂はデイサービスで世話になった。ある時、私たちは遠慮がちに切り出した。

「病気の進行を抑えるために、少し体を動かしたほうがいいんじゃないかな」

母はこういうアドバイスを指示と受け取り、気を悪くする。

「パーキンソン病はすごく疲れる病気なのよ! 足は動かないし、手はしびれるし、めまいもするの。あんたたちがこの家を出て行ってしまって、頼れる人がいないから、お父さんと2人でなんとか頑張っているのに!」

「そうだね、余計なことを言ってごめん」

私は早々に白旗を揚げる。私と姉に好きなように言い募るのが、母にとって何よりの運動なのだ。私たちが何をしても、感謝の言葉をかけられることはない。私たちに謝意を示すのは、おそらく母にとって負けであり、アイデンティティの崩壊につながるのだろう。

私は、頑張るモチベーションとして、「今、どれくらい恩を返済しただろう」と考えていた。そう、愛情でも義務でもない心情で、実家に通っていた。

ある時、母の妹である叔母から、こう声をかけられた。

「あんたたちは幸せよ。親を引き取りもしないで、実家に置いておけるんだもの」

母はこの妹によく電話をかけては、私たちのことを話していた。私が隣室にいる時でもかまわず、「どうにか、主人と2人で力を合わせて暮らしている。いざとなると、嫁に行った娘なんて頼れないわぁ」という声が漏れ聞こえてきたものだ。