「娘なら当然でしょう」という、背筋が凍るような答え

その次の年の冬、母に幻視が始まった。

「部屋に、赤ん坊がいる! 着物姿の女の幽霊もいる!」

ただでさえもろい、砂のような母の精神が崩れていく。母にせがまれ、連日の通院が始まった。医師からは、「幻視は、パーキンソン病の症状なので、慣れるしかありません。症状が軽減するように、落ち着く薬を出しましょう」と、漢方薬を処方された。

白衣を着た医師から、「大丈夫ですよ。幽霊ではないから、安心してください」と優しく諭されると、母はその時だけ落ち着くのだ。その言葉欲しさに、母は毎朝、「また幽霊がいる。医者に連れて行って。話をきいてもらわなきゃ」と電話をかけてくる。

私がどんなに「それは幻だから、心配ないよ」となだめても、「他人事だと思っていい加減なことを言うな」と怒るのだ。医師に「大丈夫!」と言ってもらうためだけに、私は隣の市まで連日車を飛ばす。

ケアマネジャーと私たち姉妹で話し合い、ヘルパーの利用を検討することにした。けれど、父が猛反発。「そんなことに使う金などない」。父は年を重ねるごとに吝嗇の度合いが増していた。ただで使える労働力(娘)があるのに、ヘルパー利用にお金を使うのはもってのほかと思ったようだ。

そして母も、ヘルパーを利用することで、私たちが家に来なくなることを危惧していた。ケアマネジャーの「娘さんにも自分たちの生活があるのだから、考えてあげませんか」という呼びかけに対しては、「これくらい、娘なら当然でしょう」という、背筋が凍るような答えだった。

息子が小学校に入学した春、子どもたちが登校したある朝に電話が鳴った。どうせ、母からだろう。早く来いとの催促の電話に違いない。だが、その日の電話は父からだった。母が転んで動けなくなったのだという。

実家に到着すると、すでに姉の姿があった。母は、明け方トイレに行った後、ベッドに腰かけようとしてそのまま尻餅をつき、衝撃で動けなくなったらしい。姉と2人で抱えたが、痛がるので動かしようがない。もしかして、骨が折れているかもしれない。救急車を呼び、病院に運びこんでもらうことにする。医者の見立てでは骨は折れていないのだが、一応、精密検査とリハビリのために、しばらく入院の措置をとるという。

私たちはほっとした。入院となれば、あの執拗な呼び出し電話から、しばらくの間解放される。ちゃんと実家を訪問しているにもかかわらず、頻繁な電話攻撃は、私たちの精神を着実に蝕んでいた。